小説集『土星の環』には含まれていない短編を全文公開! 一幕もの芝居の原案。

 

【クリスマス・ストーリー】

ハロー・グッバイ、

  Mr.サンタ・クロース

 

              所 英明

 

 

 

 

 
 20××年12月24日午後9時。
 男が、崩れ落ちるように体でドアを開け、店に転がり込んで来た。いまにも床に倒れ込んでしまいそうに上体をゆらゆらとふらつかせ、目の焦点が合わず、無理して押し殺したような苦しげな息を漏らす。赤と白のその衣装はあちこちと破け、特徴的な大きな帽子からはみ出した髪の毛は、ほつれて汚れ放題。肩から担いだ白い大きな袋さえひどく破れ汚れている。赤黒くこびり着いているのはどうらや乾いた血。もう、付け髭も取れかかっている。その場にいた誰もが口をきくことも出来ずに、一瞬前までの店内の喧騒が一転、夜明け前の湖のように静まり返ってしまった。
 男は、サンタクロースの格好をしていた。
 口を開く者はいなかった。
 瑠璃を中心に集まった約束のパーティ。小雪ちらつくホーリー・ナイト。馴染みのスナック。いつもの恋の鞘当て。暖かく曇ったガラス窓。馳夫がゆっくりと立ち上がる。沸騰したやかんがフクフクいう音。ちょび髭のマスターがカウンターの中からそっと出て来る。クリームの甘い匂い。ペーターが表情を変えずに見守る。蒼白な顔の瑠璃。
 男は、夢遊病者のようにふらつきながらも、懸命に自分を保とうとしているように見える。また、温かいもてなしと理解ある眼差しを求めているようにも見えた。しかし、例えそれが叶わぬとしても、同情は受けまい、とする頑なさがぎこちない動作に現れている。
 「申し訳ないけれど、少し休んでいいだろうか」男が口を開いた。「もちろん、礼儀として煙突から入ってくるべきだとは心得ているけれど、この辺ではあまり煙突を備え付けている家がないようだから、それに、こんな場合に、こだわってもいられなかった……」かすれた声で彼は言った。その声は、みんなを我に返らせた。頑なではあるが、どこか由緒の正しさ、といったものを感じさせる。
 瑠璃が真っ先に彼に駆け寄る。続いて、絡んでいた糸が解けたように、馳夫やペーター、やんくん等の飲み仲間がわっと男を取り巻く。
 「この人を助けて」と瑠璃が言う。
 彼に温かいコーヒーを飲ませ、転んで出来たらしい額の傷を消毒し、ソファに座らせて話を促すと、強ばっていた彼の表情もようやく和み、ためらいがちに話始めたのは、次のような話だった。
            ♯
 昔は、とても愉しかった。『彼』の天職は、子供達におもちゃをプレゼントすることだ。『彼』は、十二月に入ると少しずつ深いブルーの闇の中から目覚めへの階段をゆっくり上り始める。束の間膨大な過去の記憶が意識野に浮かび上がり、自分が何者であるのか、何をすればいいのかを思い出す。しかしそれも一瞬のこと。彼は誰かの意識の中に埋もれてしまう。そんなことを何度か繰り返し、本当に目覚めるのは年も押し詰まった二十四日の朝だ。目覚めた時、彼は自分がまぎれもなく『彼』であることが分かる。去年そうだったように、国が違い、言葉が違い、目覚めの環境がいかに異なろうと、『彼』が『彼』であることに違いはない。
 彼は思念を凝らす。辺りにクリスマスの思念が、思いが、満ちているのを感じる。子供達のはしゃぐ声が聞こえる。恋人達のささやきが、遠く、近く、潮の満ちひきのように足元を浸す。歳老いた夫婦がキリストに祈りを捧げる。彼の思念が形を取り始める。
 彼は今や本物の、『彼』そのもの、だ。
 赤と白のコートも真新しく、背中にしょった大きな袋は子供達の好きなお菓子やおもちゃでいっぱいだ。『彼』は真っ白なあご髭をしごく。両手を天高く挙げ、北風を呼び込み、雪を降らせ、トナカイを呼び寄せる。そりに乗った『彼』は、一夜限りの仕事に出かける。トナカイはそりを曳いて駆け出す。次の一歩で突然空中に乗り上げ、そのままぐんぐんと夜空に駆け上がっていく……。『彼』の笑い声が夜に吸い込まれていく。
 ところが、いつごろからだろうか。すべてが変わり始めた。目覚めが容易ではなくなった。人々の思念が『彼』の心にうまく届かない。思念が乱れ、乱雑になり、結晶化しない。誰も『彼』のことなど本当には求めていない。ようやく二十四日に目覚めても、『彼』はしばしば自分の目的が分からなくなり、もうろうとして街をさ迷う。人々が振り返る。「どこかのアルバイトが歩いてるぜ。だいぶ疲れてるな」しかし、『彼』にはその意味さえ、地下のもぐらの暗い言葉ほどにも理解出来ない。
             ♯
 話が途切れる。沈黙。
 聞いていた男たちの顔に仮面が掛かる。ある者は笑い、ある者は冷ややかに、ある者は……。
 俺はお涙頂戴は大嫌いだ! 馳夫が言う。興奮して言う。てめえはにせもんだ。酒がまずくなる。
 馳夫はいきなり男に掴みかかる。店から摘みだそうとする。ペーターが止めにはいる。もみ合う三人。椅子が倒れ、灰皿がすっ飛ぶ。背負った袋が破けて飛び散るおもちゃ。SDガンダム。ビンゴ。バックギャモン。リカちゃん人形。サリーちゃん。合体ロボ。水道管ゲーム。ウノ。えとせとら。
 あることに気がついて、動きを止める三人。ペーターが叫ぶ。
 正札がついてるぜっ!
  狂ったようにおもちゃをかき集め始める『男』。
 てめえは、なにもんだ。こそどろやったんじゃあるまいな。馳夫が飛びついで『男』の胸倉を掴んで揺する。『男』の顔から血の気が失せる。
 いきなり、乱暴にドアが開く。
 近くの商店街のおもちゃ屋の主人だ。汗みどろの顔。怒りに燃える目。見つけたぞ、どろぼうめ。
 『男』の顔が、みにくく、歪んでいく。馳夫の手を振り解き、おもちゃ屋の主人を突き飛ばし、外に出ようとするが、今度はペーターにタックルされて無様に床に這う。たちまち馳夫とおもちゃ屋の主人が押さえつける。
 『男』が訳の分からない言葉で何か叫ぶ。身をよじって、意味不明の言葉でわめきながら、泣き出す。しかし、怒ったみんなに押さえつけられて、ぴくりとも、動けない。
 「もう止めて。お願い」瑠璃が叫んだ。「放してあげて」 しかしこいつはどろぼうだ! 馳夫が叫び返す。
 「ちがうの。みんな間違っているわ。この人は“サンタ”なのよ。ほんとうに、『彼』だったのよ」
 では、いまは何者なんだい。
とペーターが瑠璃を見詰めて静かに尋ねた。
 いつの間にか『男』も静かになっている。
 ペーターが『男』の付け髭をむしり取る。目を伏せた、若者といっていいような顔が現れた。
 誰も答えなかった。
 誰も動かなかった。
 小さなSDガンダム人形を除いては。
 SDガンダムは、放り出された床の上でぎこちなく起き上がると、酔っぱらいのように頼りない足取りで少しずつ瑠璃に近づいて行った。五〇センチくらいまで近づき、瑠璃が手を差し伸べると、手の平に這上がった。
 SDガンダムが光を放ち始める。急速に強くなり、見ていられないほどになる。
 突然雷の轟くような音。
 瑠璃の差し出す手の平のほんの少し上の空間に、等身大の、紛れもないサンタ・クロースが、銀色の髭を片手でしごきながら、両の目をヘアピンのように細めて微笑みつつ、浮かんでいる。
 一同を見おろしている。
と、そのまま、つつつ、と平行移動する。驚きの余り声もなく凍り付いた一同に、ゆったりと向き直る。
 血色の良い赤ら顔。肩に担いたはちきれそうな大きな白い袋。赤と白のぴかぴか服とマント。どこからか雪が降ってくる。
 サンタ・クロース。
 馳夫は彼を押さえつけていた手の中にサンタの人形を見つける。
 《ありがとう。わしは大丈夫だ。みなのおかげだよ》
 一同の心にサンタの地の底からのように深いヴォイスが響く。瑠璃がサンタに駆け寄る。やさしく瑠璃を抱き締め額にキスするサンタ。
 《取り分け、あんたのおかげじゃ》サンタはそう言って、また瑠璃の髪を撫でた。
 《しかし、それだけではなかった》
 サンタの微笑みはより深くなって、皆の上に降り注いだ。
 《わしは、もう行く》
 サンタはもう一度、一人ひとりに目をやると、笑って頷いた。
 出し抜けに、うおおお! と馳夫が叫ぶ。
 サンタはまた笑い、馳夫にウィンクする。
 北風が吹く。トナカイの曳くそりがやって来て、一瞬後サンタはそりの上の人となる。
 いつの間にか、そこは雪降る原。遠く夜空の下に街の灯。舞い上がるサンタとそり。
 うほほーーい! ほい!
 馳夫が叫ぶ。
 見上げる一同。                 完