自己紹介

50代、柏に戻ってからのことなど

‍ こんにちは。所英明です。

‍ ぼくは2004年の春に、実家のある柏に戻って来ました。
 その時にはまだ、前の仕事である大学の職員も辞めてはおらず、父の介護のためにあたふたと柏に戻ってきたのですが、ぼくはそれから一年の時間をかけて大学の仕事に区切りをつけ、一年後の2005年3月に大学を辞めようと考え、まずは千葉市内の住居を引き払い、柏市の実家のすぐそばにアパートを借りて住み、荷物も整理しながら(なにしろ当時のぼくも通常の家具等の他にかなりの本を抱えていて、更に実家も父はほぼ寝たきりに近くなっていたこともあり、いろいろ整理もしなければならなかったので)父との暮らを始めてみることにしたのでした。本当のところは柏に戻ってくる予定はなく、大した人生の計画などはなかったものの、色々な意味で頭の中はぐるぐると回転木馬が回り続けているような状態だったのです。
 そして、大学職員としての最期の一年を過ごしつつ、徒歩2分のアパートと実家の間を行き来しつつ、ヘルパーさんたちの力を借りながら父の介護をし、ぼくの本その他を置くスペースを実家に作り、漸く仕事に区切りをつけて退職し、アパートも引き払って実家に住む生活が始まりました。本当の意味で父との生活が始まったのですが、なんてことか、ほどなく父は帰らぬ人となったのでした。その数年後には母も亡くなり、今ぼくは実家でひとりで暮らしています。

‍ ここでは、柏に戻ってから、つまりぼくが50歳になってから、現在までのことを主にボランティアや市民活動のことを中心に、そして偶然始まった市の地域づくりコーディネーターのことなどにも触れながら、記しておきたいと思います。

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【柏に戻ったころ】

‍ 柏に戻って最初の数年間は、ほぼ完全な無職になり、親の介護を除いて言えば、ネットの古書店を立上げただけの優雅な、「毎日が日曜日」の生活でした。

‍ そんなのんびりとした生活でしたが、改めて住んでみて、「柏って、案外いいまちだな。」と、そう思いました。

‍ 駅前は賑やかだし、手賀沼の周りには豊かな自然があり、サイクリングなんかすると、ホントに気持ちがいい。首都圏で、都会的な賑わいと、意外なほど豊かな自然が共存する、この環境はちょっとめずらしいのではないか。そう思ったのです。

‍ ネットの古書店は「銀河望遠鏡」と名づけ、懸命にサイトを作り込み、それなりに注文もあったのですが、いかんせん、それだけで十分な収入になることはない、ということは何年かやってわかりました。独り者だし、前職での蓄えもそれなりにある、そして(ここが問題でしたが)妻も子どももいない、というある意味では恵まれた環境(?)であるが故になんとかなっていたわけです。

‍ 父が亡くなったあとも認知症の母のことはありました。ただ、父は自宅で暮らすことを望み、ヘルパーさんたちの力添えを得て、可能な限りそうして亡くなったのですが、かなり認知症が進んだ母を自宅で見ることは(特に一人でみることは)難しいことでした。母には市内のグループホームに入ってもらい、折々の対応をしながら暮らしました。
 それでも、大学職員時代に比べると、本当に自由な時間がありました。
 それで、2007年の秋に日本橋学館大学(後に、開智国際大学)の図書館ボランティアに応募し、週一回初めてボランティアなるものを始めました。
 結果的には、ボランティアだけではなく、週3日のアルバイトの声がけも頂き、またなんとなく大学との縁が出来、ぼくの柏での生活がまた、なんとなく動き始めていました。
 大学職員は、なんと24年間も勤めたことになります。実はもっと早く辞めたい、という思いは若い頃からずっとありましたが、実家を出てからも父と母の不和などがあり、詳しくは語れませんが、職を辞することを真剣に考えることは出来ませんでした。
 しかし、日本橋学館大学でボランティアをさせて頂いたことや、そののち、柏市民大学でも数年間学ばせて頂き、それがまたぼくの柏市での生活を大きく変えるきっかけになったことを思うと、「大学」という組織との縁を感じざるを得ません。市民活動でも、なんちゃって大学(!)の柏まちなかカレッジに参加しているくらいなんですから!

‍ また、同じ時期に広報かしわでたまたま見た「市民活動レポーター」に応募して関わらせていただくことになったのも「柏自主夜間中学」のみなさんだったことを思うと、大学というか、教育というものに、ぼくはゆるくではありますが、縁が多かったと今にして思います。


【本まっち柏と地域での活動】

‍ さて、柏に戻って、のんびりとした生活が7年ほど続いたあとのことですが、変化は、まだ開店したばかりの児童文学専門書店「ハックルベリーブックス」の掲示板に、小さなチラシが貼ってあるのを見つけた時に始まりました。それが、2011年の秋のことです。

‍ 軒先ブックマーケット「本まっち柏」と、その創設メンバーと出会ったのです。ぼくはザッとチラシの内容を読んで、直ぐに店主の女性にぼくも参加したい、と希望を伝えました。

‍ いわゆる一箱古本市と呼ばれているイベントは、誰でも自分の本を持ち寄って参加できる古本のフリーマーケットです。いわば、1日だけ古本屋さんごっこを楽しむイベントです。

‍ その数年前からこういったイベントが流行り始めていて、柏でも始めよう、という人たちが現れたのです。

‍ ハックルベリーブックスの店主の奥山さん以外のメンバーは一人も知りませんでした。明らかにぼくよりも一世代以上、たぶん二世代くらい若い人が中心でした。奥山さんさえ、ほとんど口をきいたこともありませんでした。

‍ たぶん名前を出してもご迷惑にはならないと思いますので記憶を辿ってみると、その時初めて会ったのは、まだ市議会議員になりたてだった山下洋輔さん、Yol Cafe Froschを開店する直前だった頃の油原祐貴さん、翻訳者で今でも本まっち柏の重要なスタッフの藤田優里子さん、後に路地裏マルシェや野菜のろじまるを立上げるフードコミュニケーターの森脇菜採さん、都内で古書店SUNNY BOY BOOKSを開業することになる高橋和也さん、デザイン他マルチな才能を発揮する山中健雄さん、本まっち柏の中核メンバーとなった中村和久さん、そして本まっち柏が誕生するきっかけをつくり後に油原さんと共にFrosch、Noblesse Obligeほかを運営した行政翔平さんほかの人たちです。今では、それぞれが本まっち柏から離れてしまい、本来やりたかったことを実現している方々も多いのですが、それがその時にちょうど寄り集まって本まっち柏が始まった。運良く、その場に遭遇することが出来たのが、ぼくにとっての「幸運」だったのです。

【職を得る】
 市民活動としての転機が上記の本まっち柏との出会いであったとすると、働くということにも変化がありました。大学の勤めをすっぱり辞めて育った柏に戻ってきたのはいいのですが、実はネットの古書店を立ち上げただけで、それが本当に仕事として独り立ちできるほどのものに育つのか、相当怪しい状況でした。日本橋学館大学でのアルバイトについては少し触れましたが、有り体に言えば失業者に近い状態だったのです。ところが、2011年の本まっち柏の創立メンバーのみなさんとの出会が、翌年の食のフューチャーセンターに繋がり、並行して2年目のかしわ市民大学でシティプロモーションの講座をを受講したことがひとつのきっかけで、結果的には既に8年近く非常勤職として働かせて頂いている柏市地域支援課の「地域づくりコーディネーター」に採用され、2019年の4月からは一年間の短期間ですが柏アーバンデザインセンターUDC2でやはり非常勤職として働かせて頂くことにもつながりました。いずれも、非常勤職であり、収入としては大学時代の何分の1という少ないものです。家族がいたらとてもそんな悠長なことではいられなかったことでしょう。
 それでも、やはり縁を得て職を頂くということは有り難いことでした。本当を言えば、もっと早く、20代から30代にかけてくらいにしておくべきことをこの歳になってやっているような気がしています。
 2019年の10月から翌年の3月までの半年間、パレット柏というところで「パレットかしわキャンパス」という市民講座を行いました。その講座のうちのひとつでコーディネーターを依頼して頂き、お受けしたのですが、その時テーマを「地域で働く」というものに設定しました。

‍ 講座のタイトルとしては、「ワタシcolor発見講座 地域のセンパイに働き方を聞く」にしました。

‍ その時、その「働く」ということを、出来るだけ広く考えてみたい、と思い、働くって何かなぁ。どういう風に働けば、シアワセなのかなぁ。そんなことを、ぼんやりと考えて、まあなんとかいろいろご縁のあった方々の助けを借りて形にしたものでした。働く、ということがもっと幸せなことであって良いはずなのに、個人の人生を搾取するような論理が横行するこの社会に危機感を覚えます。

【地域で暮らす】
 ぼくは、柏に戻ってきて、2005年には無職になりました、と最初に申し上げましたが、今はその時には予想もしなかった形で、敢えて言えば「地域で暮らす」ということを試行錯誤しながらやっているような気がします。その暮らすことの中には、ボランティアや、市民活動や、学ぶことや、働くことが含まれていて、それら総てを通して人との出会いがありました。私立大学に勤めるサラリーマンだった頃の生活と比べると、特別なこと、というほどのことではありませんが、何だか自分ではちょっと不思議な気持ちになるのです。


‍ 本まっち柏との遭遇(?)から、早くももう、10年近くの歳月が流れました。

‍ 今、ぼくは本まっち柏(本活倶楽部)の代表を務めています。また、本まっち柏だけではなく、「カシワ読書会」「柏まちなか図書館」「柏図書館メイカーズ」等の本に関する活動、さらに柏まちなかカレッジ(いわゆるコミュニティカレッジ)や、先ほど触れたパレット柏の市民講座のコーディネーターなどに大なり小なり関わってきました。今年で終了予定ですが、柏市と交流都市である福島県只見町の「ふるさと大使」なんてことまでさせていただいています。これらはお金になるような「仕事」ではありませんが、ぼくの中ではやはり大切で、大きな意味では「働く」ことの一部になっているのかもしれません。

‍ 同時に気がつくのですが、この10年間ほど「学ぶ」ことの多かった時期はなかったかも知れません。先に述べたような経緯で、実は「まちなか」にこそ出会いがあり、それはまた学びの機会でもある(まさに、「柏まちなかカレッジ」です)、ということに気がついて以来、ぼくは積極的にそのような機会に飛び込むようになりました。

‍ 例えば、本まっちとの出会いのあと、まったく関心のなかった筈の「食のフューチャーセンター」にもドン・キホーテさながら飛び込みました。飲食業にも農業にも無縁だったことを考えると、まったくムボーでしたが、ここで出あった人たちからの影響も大きかった。

‍ また「かしわ市民大学」でも四つのクラスで、シティプロモーションや、市民と行政の協働について、そして農業や食について学んでいます。ここでも多くのクラスメイトに出会うことが出来ました。

‍ そして、この時期はSNSの爆発的な発展期とも重なっているわけで、facebook他のツールをも活用することで、ひとと出会い、新しい学びを得る機会が格段に広がっていたのです。

‍ つまり、2011年秋の出会いを境に、どうやらぼくの住む世界はがらっと変わってしまった。

‍ サラリーマンとして、職場と自宅を往復していた頃には知らなかった、あるいは気にもしていなかった世界。ぼくは「地域」というものを発見し、あまり前後を考えずに飛び込んでしまったのです。

‍ その結果正直なところ、うまくいったこともありますが、失敗もありました。人間関係でも同じです。誤解や不義理もあったと思います。そういうことを考えると、なかなか辛い。自分が生活している「地域」だからこそ、軽率なことをすれば自分に返ってくる、という側面もあります。

‍ それでも、と思います。飛び込んでみて、やっぱりよかった、と。


【復路の哲学】

‍ そう素直に思えることのひとつは、なかなか出会えなかったような、ぼくよりずっと若い人々に出会う機会を多く持てたことです。本当に。

‍ その意味をうまく伝えるのは難しいのですが、ここにポール・ヴァレリーの言葉があります。ご紹介します。

‍ それは、「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来に入って行く。」というものです。つまり、我々は未来に背中を向け、後戻りしながら進んでいくのだと。未来は、背中を向けていて、見えない。だから、過去の全景をしっかりと見据えることでしか、真っすぐに、あるいは自分の進みたい方向に進む、方法はない。そういうことなんだと思います。


‍ その時にぼくが今、一番心しているのは、ぼくの後からやって来る、若い人から学ぶ、ということです。出来るだけ謙虚に、でも時には、なんだかんだ言ってもオジサンなんで、いささか批判的に。

‍ もちろん、先行世代からも多くのことを学びました。でも、ある程度の歳になると、いままで自分の先を行き、導き手になっていてくれた先輩達がいなくなっている、ということに気づく。正確に言えば、いないのではなく、もう少し正確に言うことができるといいのですが、学ぶことの比重が軽くなっている、ことに気がつくのです。もちろん常に例外的な方はいますが、総体として。

‍ そうすると、もう先は見えない。「ボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来に入って行く」しかなくなるのです。だからきっと、後から来る若い世代に学ぶしかない。ぼくは、そう思います。

‍ それは彼ら若い人たちが正しいから、というより、仮に間違っていても、その間違うことに重さがある、からなのかもしれません。

‍ そう言ったことも含めて、ぼくの時間はもう、そんなにはありません。だから、残せるものは残して行こうという思いもあります。でも、それはまた別の話。


‍ 実は今年2021年の誕生日で、ついにぼくも前期高齢者の仲間入りになります。
 それでも今日も、またあれこれ迷い、つまらないことでくよくよし、時には嬉しいことや有難いことにも恵まれ、相変わらずひとりで生きています。
 何てことでしょうか。

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(2019年7月の「柏100人カイギ」で話したことを元に今回書き直しました。2021.2.20記)

イメージ・ギャラリー

20168月、そごうのビアガーデンにて。友人の木下くんが撮影してくれた一枚。実は彼のメガネを借りている。

柏まちなかカレッジの山下学長、福島副学長と。トコロは肩書きなし。

2012年5月。駅前通りで市民活動フェスタに参加した初期の本まっち柏。連動して裏カシで春の本まっち柏を同時開催した。

2007年夏。母と九十九里浜で。
母は、2016年2月、この世を去った。

2007年3月。大学職員時代の仲間と、退職後も年に一度スキーに行っていた。最近はなかなか行けず、今年はコロナで。

2015年6月。大瀬さんと二瓶さんのチームによる「行事食シリーズ」に参加。お正月や七夕など、季節に合わせた料理をつくり、行事の由来を知って、美味しく食べさせていただきました。

2018年8月。NPOこどもすぺーす柏のキャンプ。二泊三日で浦山口キャンプ場に。川遊びや、肝試し。ハイライトは焚き火を囲んで、歌い踊る。(上)
柏まつりに出店(下)

2017年3月。地域支援課のコーディネーター同期のお二人。お二人と一緒に働けてよかったー。今は、それぞれ別の道に。

2019年9月。兄貴と安曇野に行く。
近年、暇をみつけては、兄貴と短い旅にでる。大体ずっと、くだらない冗談を言い続けているだけの旅だけれど。不思議なことに、兄貴も別のまちで、自治会長だか防災部長だかをやっていて、地元の市役所とも関係が深いそうだ。

2020年2月。福島県只見市の雪まつりの柏市のブースに「カシワ産ちの『檸檬えぇど!』スタンド」として出店。大使よりよほど大使らしい三好さん、松清さんのおかげでなんとか形になりました。

2023年4月。本と花の広場にて、カシワ読書会のスタッフが久々にそろった。

2022年9月。ストリートパーティーで。売らねーしの館。占いは出来ません!

2023年4月。本と花の広場@パレット柏の記念写真。

マスクあり、バージョン

本のマップ柏チーム

京に遊ぶ、の巻