エッセイ

最近書いたもの、昔書いたもの、取り混ぜて。

10/03/2021

 明日で、あの震災から10年が経つ。
 この10年はなんだったのだろう。
と、ぼんやりと思うとき、日本人は変わらなかった、との思いが残る。
 変わらない、そのコアの部分が周りから浮き出て、その醜い、という形容はしたくはなかったが、止むを得ない姿が鮮明になって今に至っている、と言わざるを得ない。
 辛いことだけれど。

 その醜さ、の中心には、旧弊にしがみつく、ということがあると思う。
 しがみついているのは、主に50歳以上の世代だろうか? いや、若い世代も? わからない。

 が、その最もわかりやすい例は、現総理や、前総理、前オリンピック招致委員会会長‥‥など諸々の方々だ、というなら、それは一見政治的な言説のように見えてしまうが、それはそうだが、言いたいのは政治家である前に、人として、というようなことだ。

 ひとり一人の人間としてみた時に、彼らはなんだ?

 仮にも、国を代表する人々であった、である、はずの人々なのだが。


 ぼくは震災のことを言おうとしたのだったが、それがひとの話になっている?

 確かに、そうだ。

 震災自体は自然災害だった。
 しかし、原発事故は複合的ではあるものの、その後の復興の経緯も含めて言えば、既に人災と呼ばざるを得ないのではないか。
 その時、例えば上記の人々を含む、多くの日本人の顔が浮かび上がる。

 未曾有の自然災害、さらに人災に、日本人はどう相対したのか。

 ぼく自身をも含めて。

 ぼくらは忘れてしまったのだろうか。
 あの、空白の日々に、テレビからは公共放送機構だったか(調べてみたら、ACジャパン、というのだ)の、不思議なCMが繰り返し流れたものだ。通常の企業CMは自粛され、「あいさつの魔法」や、金子みすゞの詩を用いた「こだまでしょうか」、など何種類ものCMが繰り返し流れた。
 ぼくは、特に「こだまでしょうか」の不思議なCMが心に残っている。
 耳をすませば、10年後の今でも、あの時のこだまは遠く響いている、だろうか。

 以下に、震災直後と、一年後に書いた二つの文章を載せる。パソコンの中に眠っていた。何のために書いた文章なのか判然としない。でも、それは今となってはどうでもよいことなのかもしれないが。

     
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社会貢献について思うこと


 三月十一日以前と以後、何かが変わったという意見を見聞きします。多くの人が、被災地に思いを馳せ、自分にも何か出来ないか、自分に出来ることとは何か、と考えた。

 すぐに行動に移し、ボランティア等として現地に向かった人もいるし、何をどうしたらいいのか、自問自答したまま(私のように)今に至った人もいることだろう。

 社会貢献を志す心、あるいはもっと広く公共意識、というものに、この度の震災は大きな揺さぶりをかけたのではないか。

 そこには、その変わりつつある意識に応じた新たな問題も生まれつつある。ボランティアとして被災地に入った人、それを受け入れる被災地の人びととの双方に、様々な思いや感情の交流・交錯が起きたことを各種の報道は教えてくれている。

 社会貢献について、個人として、あまり難しく考えすぎても身動きが取れない。無理なく、気持ちよくできるところから始めることかな、と思う(つまり、無理だと思ったら、止めておく)。意気込みすぎて、社会貢献は良いことで、私は良いことをしているのだから(文句あるか)みたいな、相手の為だか自分の為だかわからなくなるような「社会貢献」では行き過ぎだ。

 社会貢献とは、結局誰かの為であると同時に、自分の為でもあり、自分の生き甲斐、人生の充足感にもつながることで続けられる。

 企業やNPOなどの社会貢献には、また別の側面があるのかもしれない。企業なら営利と貢献をどう両立するか、難しい。だが、それをも含めて社会貢献は社会を形作っているのだろう。今回はそれを垣間見る機会になるかもしれない、そうであれば有り難い、などと思う。(2011年6月15日)



柏市のまちづくりのために市民ができること


 日本の社会、日本人の心の有り様が大きく変化しつつある時代に生きている、という実感があります。

 バブルの崩壊、95年の関西淡路大地震、オウム真理教による地下鉄サリン事件、2001年の9.11米同時テロ、2008年のリーマンショック、そして記憶も生々しい東日本大地震を経て、私たちの生活も意識も否応もなく変化してきた、と感じます。

 悪いことばかりではありません。二度の大地震時に示されたボランティアで復旧に尽力する多くの人たちの姿、「個」として国際的に活躍するスポーツ選手の姿、クールと評される日本の文化の輸出現象。我々市民の仕事や生活の中にも、その様々な兆候が大小取り混ぜて散見されます。

 正直にいって、日本社会には、未だ目を覆いたくなるような制度の硬直、思考の停止、バブル期の利権の残滓にしがみつくようなモラルの腐敗、等があることも明らかですが、一方で、市民が自ら社会を刷新して行こう、とする意識の胎動も感じられる。その両面がある。

 市民の強みは、生活者の実感を手放さないこと、ではないでしょうか。

 野菜やガソリンの高騰に吐息をついたり、レイソルの活躍に溜飲を下げたりしながら、なんとかバランスを取りつつ生活して行く。その実感から発想する。

 でも同時に、いまや、生活者の実感だけでは足りない。多くの市民がそう思い始めている。

 日本の社会は、日本人は、変わらなくてはいけない。政治や行政が変わらないなら、自分たちでなんとかするしかない。そして、社会的なインフラ(社会の成熟やインターネット等)が市民のそうした動きを後押し出来るレベルに上がってきている。とも感じる。

 政治・行政と市民は、本当に必要なことを促し、監視し、協働する時代に入ったと思う。(2012年4月13日)


付記)どうやら、「柏市のまちづくりのために市民ができること」という文章は、公募に当たってこのテーマが与えられた、柏市地域支援課の地域づくりコーディネーターの募集に応じた時の、提出文章だと思われる。
 コーディネーターへの応募の文章として考えると、いささか場違いというか、首を捻る感じもあるけれど。
 それは今振り返るから、ということもあるのかもしれない。つまり、これを震災一年後の「こだま」として受け取るならば。
付記2)上記では、地域づくりコーディネーターへの応募時に書いた文章ではないか、と述べたが、すると一年間日時がズレていることに気がついた。コーディネーターへの応募は2013年だったのだ。すると、この文章は何のために書いたのか? そこで思い起こすと2012年はかしわ市民大学の第二期で、「シティプロモーション」のクラスの募集があり、応募し、6月頃から2013年3月まで学ぶ機会を得たのだった。記憶にはないが、応募の時に、このテーマで文章を書く必要があったのだろう。

 

参考)

 東日本大震災と公共広告 PDF
 あいさつの魔法 YouTube

 こだまでしょうか YouTube
 

03/03/2021

 河合隼雄さんは、臨床心理学、ユング心理学の先生であり、幾多の本の著者でもあったが、何よりもひとりの臨床家としての自分を大切にされた方だったと思う。晩年は文化庁長官などの要職を務められ、それはその組織なりなんなりにとっては有難いことではあったのだろうが、ご本人にとってはどうだったのか。
 最後まで、臨床家として道を極め、それを学問としても追求し、著作として結実させてほしかった、とやはり思わずにはいられない。
 ともあれ、我々の前には河合さんのたくさんの著作が残されている。
 河合さんの本をきちんと読み直す、その作業をするだけでも今なお多くのことを学びなおせるはずだろう。

 ユング心理学の重要な概念のひとつとして、コンステレーション(星座、布置)ということがある。その顰にならって河合さんの著作を布置してみたのが上図になる。最初の著作「ユング心理学入門」から始めて、その全てを読み直すのは無理にしても、その布置を読み取りながら重要な著作を読み直す、ということをやっていきたいと思っています。一緒に読んでくださる方も募集中。

27/02/2021

 カシワ読書会、という名の読書会(自分流に言えば、持ち寄り本語り形式の読書会)を始めたのは2018年の秋からでした。それから、毎月一回なんとか開催してきて、ようやく30回を超えたところです。目標は200回と言っていますので、まだ達成は遠い。以下は、その読書会を始めるに際して書いた文章みたいです。たぶん、フェイスブックか何かに載せたんだろうなぁ。
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 柏で、「カシワ読書会」を始めさせて頂くことにしました。
 発起人の所英明です。


 柏の表記がカシワになっているのは、「カタカナ読書会」という読書会が全国各地に(実は海外も含む)既に13あるから、です。その発祥の地は札幌だということですが、ぼくは浅草で開催されていた、第100回記念の「アサクサ読書会」に、タイミング良くお邪魔してから、都合のつく時にはできるだけ参加させて頂いて来ました(現在、既に144回を重ねておられます)。この度、その「アサクサ読書会」の川口民夫さんにご了解を得て、柏でもカタカナ読書会を開催しようと考えました。柏での開催で14番目のカタカナ読書会の誕生となります。

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 そもそも、いま、何故、読書会なのでしょうか。

 大げさな理由ではありません。個人的な理由です。「昔むかしの大むかし」はぼくも自称いっぱしの読書青年でした。「それなりに昔」も、なんとか読書中年でした。でも、いつしか、「カッコだけの読書老年」になってしまっているように思います。

 実際近年は、「昔の名前で出ています」(古いか)、みたいな感じで読書資産を食いつぶす日々。そのことにはもちろん薄々気がついて、…いや、良く知っていたのですが、「忙しいし」とか「老眼が進んで集中できないのだ」etc.といい訳を並べて放置していたのです。

 これではいけない。何とかしたい。
 そう思っていた時に、ふと気がつきました。読書会って、あるよね。探してみれば、身の回りにもあるのかもしれない。いや、そもそも自分で開催するのが良いのかも知れない。でも、まずは探して、可能なら参加させてもらおう。

 読書会で共に本を読む仲間がいて、刺激を貰うことができれば、昔のように、とまではいかずとも、読書欲が戻ってくるんじゃあるまいか。……


 そして、(便利な時代です)ネットで検索すれば、あるある……たくさんある。各地で様々な読書会をやっている。ぼくの中にあった古ぼけた読書会のイメージが変わって行きました。小さなグループで、一冊の本と向き合ってこつこつと読み込んで感想を述べ合う……というようなものが、ぼくの旧来の読書会のイメージだったのです。しかし、世の中には、いろいろなタイプの読書会があるらしい。しかも、流石インターネットの時代、参加者もネットから情報を得て参加する前提で開催されているものがたくさんあって、おそらくはその参加者の流動性が多様な読書会を産み出す原動力ともなっているに違いない……というようなことが、おぼろげに見えてきたのです。(興味をお持ちの方は、どんな読書会があるのか、実際にご自分で検索されることをオススメします)


 そんなわけで、俄然興味を持ち、検索しては「これはどうなの?」のような感じで様々に参加させて頂いた読書会のひとつが、「アサクサ読書会」でした。
 アサクサ読書会は、SNS等で広報して、月に2回、日曜日の朝活として喫茶店の2階を借りて開催されています。9時15分から12時までの三時間弱。参加者は毎回20人から30人程度。二つから三つくらいのテーブルに分かれて、そのグループごとに進行役がひとり。互いが持ち寄った本をひとり12分から15分程度の時間内で(ひとり当りの時間は毎回参加人数を勘案して進行役が最初に決めます)、本人が紹介し、グループで感想・意見を述べ合うスタイルを取っています。その12分なら12分の限られた時間でどう紹介できるか、は各人の腕の見せどころ、という感じです。会としては、5分程度で紹介するのを推奨しているようですが、持ち時間の12分全部を紹介に使ってしまっても良く、そこは紹介者に任されています。
 ただ、何度も参加してみて思うのですが、なかなか簡単明瞭に一冊の本を紹介することはできず、12分使い切ってしまった、ということもままあるものの、可能であれば時間内で、自分の紹介に対するレスポンスを頂いた方が良いのです。何より、自分の紹介がどのように受けとめられたのか、受けとめられなかったのか、が分かりますし、予想外な反応があったり、深く共感して頂けたりする嬉しさがあったり、そこにアサクサ読書会のスタイルの醍醐味が詰まっていると感じるからです。


 そんなアサクサ読書会を、柏に持ってきたいと思っています。

 可能なら、少なくともスタート時点では、アサクサ読書会のスタイルを忠実にコピーして始めるのが良い、と思いました。ただ、それは思うほど簡単なことではないとも思っています。アサクサ読書会のスタイルには、やはり川口さんのお人柄や考え方がしっかりと反映されているに違いないからです。アサクサ読書会が150回近くも続いているには理由があるに違いありません。上記に概要を述べましたが、このスタイル(ぼくは勝手にこれを、「持ち寄り本語り」形式と呼んでいますが)は、シンプルですが味わい深い、と感じています。むろん、川口さんを始めとする進行役の方々の力量に負うところも大きいのですが、このシンプルな構造が継続の秘訣かもしれません。

 また、「本を知り、人を知る」というアサクサ読書会のキャッチコピーも、「アサクサ読書会は、ゆる〜い読書会です」という川口さんの紹介の仕方、進行役としての会の進め方にも、読書会の魅力の一端が表されているように思います。
 そう言ったことの総てをそっくりコピーする、というのは実は難しいし、現実的ではないようにも思います。どうしても、ぼくの個性や力量も出てきてしまうでしょうし、ある意味では、それは仕方がないし、むしろ良いことだと考えて、積極的に生かすつもりで開催しようとは思っています。でも、正直なところ、やってみないとわからないですね。
 早々に挫折したりして…。まぁ、そうならないようにがんばります。


 では、始まる前から必要もないのに饒舌に語る、というのもどんなもんだか、ということがありますので(既に遅い?)このくらいで。9月15日(土)10時、ハックルベリーブックス2階を会場にスタートする「カシワ読書会」をどうぞよろしくお願い致します。

 西口の千葉銀行前で。
 UDC2の社会実験の一環で場所をお借りできることになり、ベースキャンプのハックルベリーブックスを飛び出た回。実は、本を持っているのが、川口民夫さん。ちょうど柏に来てくださった時。今では、浅草の名物となった「瓦割りカワラナ」の店主にして、「毎日をたのしく」する合同会社ハハハの代表です。

 ハックルベリーブックスの2階にて。最近はオンラインとのハイブリッド開催が多い。
 参加は、カシワ読書会のfacebook pageから。

26/02/2021

 この「エッセイ」カテゴリでは、リアルタイムで雑文を書くこともあるけれど、昔書いた文章をいわば地層から「掘り出して」載せたりもしたいと思っています。そういう意味でも、本当に個人ホームページで、ぼく以外の人が読んでも、なんのこっちゃ。ということになりかねない。
 なりかねないんだけれど、実はそれなりに面白い。と思ってもらえるようにしたい、とは思っているんですが。

 どうかな?

 今回は、Macのフォルダを開いたら見つかった、こんな文章。
 最近は開かれなくなってしまったけれど、小学校の同窓会での、閉会の挨拶の下書きです。

 誰でもそうなのかもしれないけれど、子供から大人になって、忙しい社会人が一段落した頃、同窓生に会いたくなって、ん十年ぶりに同窓会をやりました、というのはよくある話です。

 やってみて、よかったのか、いや、がっかりだよ、ということになるのか、はともかくとして。

 みなさんは、どうでしょうか。


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閉会の挨拶


 えー、栗林君が閉会の挨拶をやれ、ということでわざわざ訪ねてきてくれて依頼されましたので、少々喋ります。確かお前のために60分ほど時間を取ってあるということで‥‥いや、60秒? もしかすると6秒だったかもしれませんが、もう過ぎましたね? では6分ほど喋らせて頂こうかと思います。


 栗林君がうちに来たのは、単に携帯電話が繋がらなかったので、直接来ただけなんですが、挨拶を引き受けたあとで、丁度読んでいた小説のことを思い出しました。ティム・オブライエンという作家の「世界のすべての七月」という本で、村上春樹が訳しています。オブライエンも村上さんとほぼ同世代で、だから、我々より一回り近く上の世代になります。


 その「世界のすべての七月」が、言ってみれば同窓会小説とでも言うようなものなんです。作者のオブライエンは村上さんと同世代なのですが、この物語の中では書かれた時期のせいで丁度今の我々50とか51歳とかの同世代として出てくる。


 誰が主人公という書き方ではなくて、一人ひとりの同窓生たちを主人公にした短編小説を積み重ねるようにして長編を作っています。後半に行くに従ってその同窓生たちが相互に絡み合ってくる、という一種の群像劇で、ある者は未だ独身でじたばたしているし、ある者は離婚の傷を引きずっている。ある者は婚約者の裏切りを今でも許せずにいる。ある者はちょっとした瞬間にベトナム戦争の戦場にフラッシュバックして心理的トラウマに飲み込まれてしまう。一見非の打ち所のない結婚生活を送っていて成功者と思われている女性がガンで乳房を失っていて夫から女として見られなくなってしまったと深く悩んでいる。ある者は天職と思っていた仕事を失ったばかりだし、ある者は犯罪に巻き込まれて既に死んでいます。

 小説ですから誇張して描いている部分はもちろんあるわけですが、読んでいるうちに、ちょっと離れて冷静に見れば、とんでもないそのドタバタが、切なくも愛おしく、我々自身の似姿として見えてくるようなところがあるわけです。

 もちろん、その小説の主人公たちと僕たちは違うと言えば全然違うわけで、日米の違いがそもそも大きいですし、その小説では大学の同窓会なんですが、我々のは小学校というわけで、大学と小学校では自ずといろいろ違っていて当然でもあります。


 そうですよね? 大学時代を一緒に過ごす、というのと小学校を同級生として過ごすというのはかなり異なる体験ですよね。

 我々は、言わばようやく人間になりかかったところで出会った。我々一人ひとりの原型は間違いなくそこにあったけれど、まだ今現在の我々にはなっていなかった。つぼみだったわけです。ぼくも、あなたも。

 その後、立派に大輪の花を開花させたひとも、僕みたいにしょぼしょぼっとろくに花も咲かせずに現在に至っているひともいるでしょうが、いずれ小学生のころの僕もあなたも、気が付くと半世紀を生きてきた。その間にはかなりギャップがある。

 北村薫さんという小説家が「スキップ」というとんでもない設定の小説を書いています。昭和40年代の初め、17歳だった女子高生がある日レコードを聴いていて眠ってしまった。そして、目覚めたら夫と17歳の娘がいる42歳のお母さんになっていたんです。その間の記憶が全くない。別に時間を跳躍した、とかそういう話ではないんです。確かに生きて歳を取った。ただ、その間の記憶が欠落しているんですね。すると、本人の主観では、いきなり17歳のある日から、42歳にジャンプしてしまったようなことになる。もうえらいことです。


 言ってみれば、今日の我々はそれに近い。自分が、というより、相手が、ですけれど、いきなり50歳にジャンプしてしまった。間がすっぽりと抜けている。

 小説の方では、主観的には17歳の、しかし実際には42歳の主人公は、もちろんすごく混乱するのですが、それでも何とかそれを受け止めて、わたしをもう一度わたしとして生きていこう、と健気に歩き始めるんです。


 ですから、我々もそれに倣って、なんとか一緒に生きていこう、と考えていいのじゃないかと思います。本当のところ、一瞬自分のことはさておいて、このおじさんは誰だ? とか、このおばさんがあの可憐だった○○子ちゃんであるなんて信じられるか、とか思うわけですが、まぁ、スキップの主人公に比べれば、まだまだ甘い。なんとかなる。というより、ぼくはいっそ、お互いにほとんど初めまして、と言った方がいいようなものだ、と思うんですね。


 実際、同窓生とはいいつつ我々は互いによく知らないでしょう、多分。知っているといっても、せいぜいドッジボールをやったり、スカートをめくったりした程度のことだったので、そういうのも悪くはありませんが、今となっては十分とは言えない。今ならもう少し別の話も出来るかも知れないですよね。

 そして、先ほどのギャップや違和感もありつつ話をしていると、その奥の方から駆けっこが早かった○男くんの顔や、いつもおどけて笑わせてくれた○子ちゃんの顔が浮かび上がってきて、これは確かに知らないおじさんじゃない、ということにもなろうというもんです。その浮かび上がってくる顔が、自意識過剰のいやったらしい生意気盛りの大学生ではなくて、ほんとかうそか知りませんが、たぶん幻想ですが、純粋無垢な小学生の顔だ、というのはそんなに悪いことじゃないと思います。それはその頃の自分に出会うことでもあるのでしょうから。

 

 いずれにしても、これからの日本は少子化であるだけではなくて、我々の世代も確実に減っていくわけですから、互いに励まし合って生きていく方がいい。

 そのような意味でも、今回も有志の方が同窓会を企画し実現してくれたわけで、どうもありがとうございますと言いたいと思います。また、たまにお願いします。(2007年10月6日記)